戦場への第一歩を踏み出しました。
第四話
レジの裏に隠してあったコンソールで手続きを済ませた俺は、とうとう俺の戦場へと足を踏み入れるのであった。
「記念すべき最初の一回目だ。見ててあげるからカードを使って中に入りなよ。」
なるほど。レジの裏側にはコンソールだけでなく、その床に切れ込みが入っている。
大きさは縦横1,5mほど。マジックプレイヤーにはマイルドに言って大柄なやつも多い。そいつらには少々窮屈かもしれないが、人間が十分に通れるだけの入り口なのだろう。
そしてその入り口の脇にはアクリル製の蓋を備えたカードリーダーが取り付けられており、その横に小さなタッチパネルがついている。
「カードはppカードを通すとして、タッチパネルは何をするんだ?」
「登録名と対応するパスワードを決めて、初回は入場するんだ。それ以降はカードをスラッシュしてパスを入れるってわけさ。」
なるほどなるほど。では早速入力入力っと。
「あぁ、パスだけど、フレイバーとかカード名はやめときなよ。ほぼ確実に“既に使用されております”状態だから。」
「そんなに人数がいるのか?」
マジックに焦がれる人間が多くいるのはわかるが、ひりつくようなここでの戦いを繰り広げる人間が、マジックのカードほどもいるというのはなんだか拍子抜けである。
「いや、せいぜい百五十人ってところだよ。ただ、延べ人数は結構多くてねェ。」
薄暗くてもよくわかる。今のきじん館は確実に薄汚い笑みを浮かべている。
「ここで破滅したやつは、名前と戦績、パスと末路が記録され、他者が閲覧できるようになってるんだ、悪趣味だろ?」
まったくだ。それをさも嬉しそうに説明するお前にゃ負けるが。
「ここに来てすぐの奴は、それを見て笑うのさ。“おい、こいつのパス、《force of will》だってよ。弱いくせにまた大層なの選んだもんだ!んで、末路は借金からの強制労働の末発狂!大した意思の力だな”ってね。」
大きく肩をすくめて続けるきじん館。
「そしてppが失われた時に、自分が笑った故人が会いに来るのさ。笑いながらね。」
自分の放った比喩表現が気に入ったのか、口の中でぶつぶつと、笑いながらね、と反芻するきじん館。ここでどのくらい戦ってきたのかは知らないが、ppを吸い尽くされ破滅した奴を何度も見送ってきたのだろう。そう、笑いながら。
まだぶつぶつ言っているきじん館に、今から入力するから見るなと遠ざけてすばやく入力した。
A shock hotter than lightning
俺の決意だ。予想の通り、パスは有効に働き、床面に備えられた扉がゆっくりと開いていく。奥には、地下へと続く階段が待ち受けている。
俺は戦場へと続く薄明るい階段を降りていった。
*
地獄に至る階段を三段も降りたところで気づく。
熱い。
その熱気は一段降りる毎に増していき、その濃度というか粘度を増していった。
そして、何かが耳に届く。それは襤褸切れを引き裂くような悲鳴。あるいは喉の奥から漏れるうめき。またあるいは勝利の雄叫び。
いくつもの、そして幾種類もの心からの声が重なりあって耳を打っている。
俺は異様な雰囲気に呑まれまいと、殊更に強く階段を踏みしめていった。やがて、きっちり十三段の階段を降りきった。
正面には、拍子抜けするような普通の作りのガラス張りのドア。古いマジックのポスターが貼られ、大会の日程表が掲げられ、カード買取価格が示されている。
階段を降っているときから聞こえていた声は鳴り止んでいないし、熱気もまったく衰えていない。しかし視覚が捉える光景は、街のカードショップのそれである。
コンビニ跡の暗がりや、屈強な黒服、そしてあの十三階段を越えた先にあるものが、これ?
日常から非日常に転落した創作物のキャラクターは酷く狼狽するが、その逆のパターンであっても、酷く狼狽するものなのだということを俺は初めて知った。
「普通のカードショップそのものって感じだよね。ここを作ったご老人の趣味なんだそうだ。」
趣味?この外装が?
「いかにも陰々とした場所でやると、mtgという雰囲気が出ないんだそうで。」
「作った奴ってのは一体…何者なんだ。」
考えてみりゃ場所、人、システム、どれを取ってもとても一個人が思いつきで運営できるもんじゃない。
となると、ご老人というのは、大金持ちの道楽野郎というわけか…。
「君も聞いたことあるだろう?魔集財団の名前くらい。その総帥、魔集群葉(ましゅうぐんよう)もさ。」
「聞いたことあるもなにも、ホビー関連以外のあらゆる分野を網羅する一大資産家だろ。テレビで話を聞かない日はないくらいだぜ。」
「そうそう。その総帥様がなぜホビー関連を扱わないのか、知ってるかい?」
俺は首を横に振り、先を促した。
「好きなことを仕事にはしたくないから、だってさ。ギャンブルなんかもやり尽くし、プレイヤーから運営へとその趣味の幅を広げたのが、この遊戯場ってわけ。」
「それで、若者が勝ったり負けたり生きたり死んだりするのを見て悦に入ってるってわけか。」
「その通り。他人の命を駒にした双六みたいなもんさ。面白いんだろうね。」
ほとんど妖怪だな、そりゃ。
「おっといけない。長話が過ぎたね。そのノブを捻って、ちょいと押してやれば、世界が変わるんだ。さぁどうぞ。」
言われなくても。この安っぽいドア一枚を隔てた先が、地獄に繋がっている。ノブを握る手に自然と力が篭り、込めた力をドアの開放へと向かわせる。
ほとんど満身の力を込めるようにしてみたのだが、ドアは拍子抜けするほど軽く開いた。
*
ドアの先には、慣れ親しんだカードショップの光景と、見たこともない情景が広がっていた。
前者は、デュエルスペースが広大であることを除けば、シングルショーケースやサプライ、カードパックなど様々なものが置かれたまさに慣れ親しんだショップの装いだった。
後者は、大勢の人間が、それこそ子どものように感情を露わにしている。そんな空間だった。
泣きじゃくるもの。大笑するもの。激昂するもの。感情の大渦がそこにはあった。
俺は知らず、喉を鳴らしていた。いや、鳴らし損ねていた。カラカラ過ぎる。
大会に負け、涙することはあったが、ここまで俺は悲しんだか。大会に勝ち、笑みを浮かべることはあったが、ここまで俺は喜んだか。理不尽な差配に怒ることはあっても、俺はここまで激したか。
生き死にに結びついたマジックは、確かに別の顔を俺に見せている。
俺もこいつらみたいになれるのか。俺もこいつらみたいになってみたい。いや、なってみせる。