邪眼は月輪に飛ぶ、のヤマコトバニナルでこのブログに到達する人がこの四ヶ月連続でトップ。
今月は、その意味についてもこんなブログで知ろうとする貪欲な方がいらっしゃったようなので書いときます。
死ぬ、という意味です。ごく浅くとるのなら。
山に帰るだけよ、という鵜平のセリフ、自給自足に近い狩猟採集生活を送る人間にとっては、自分の住むという以上に属しているという感覚、一部であるという感覚が強いのだと思います。
今まで貰っていた自分が、自分を生かしてくれていた山に初めて返すということであり、一体化するというような考えもないではないでしょう。
ヤマコトバニナルという言葉でググると、なんともここがトップに出てきてしまう始末なので、的外れな考察というか推測をすると、ヤマは山、コトバは言葉、ニナルはに、なるという助詞と動詞の組み合わせで、山は生活の場であると同時に、生活空間の限定でもあると思います。
極ローカルな空間での情報伝播は口承伝播が主であると共に、情報の継承もまた口伝の形を取っていそうな田舎でのことなので、何を伝えるにも、時間を下っても、空間に広がる形でも言葉というものの持つ力が、現代の一般的な認識よりもはるかに強いものであると思います。
山の言葉になる、これは山に残るなにものかに対する一体化というような民間信仰のようなものなのではないのでしょうか?
ひょっとしたら、ちゃんと探せばこの言葉は普通にあるもので、これは非常に恥ずかしい考察なのかも知れませんが、、、
漫画に限らずこういう由無し事を考えるのは楽しいです。
と思ったら、山言葉(山詞)自体が、山の中でしか使うことのない忌み言葉の一種であるので、言葉=残るもの、しかも山という神聖な場にのみ語り継がれるものになるということで、まぁ当たらずとも、といえなくもないこともないですかね。